
(スライド映写)
(S1)初期の開発の段階におきまして、ダーリングハーバーは、ほかの港湾地域と同じようにほとんどが埋め立て地でありました。そしてそこに鉄道、そして港湾設備が開発され、それ以降かなり老朽化が進んだわけであります。同じように各地の港湾でも同じような歴史あるいは経緯を経てこられたかと思います。
(S2)2つの要因によってダーリングハーバーの開発をほかのものと違うものとしてとらえることができると思います。すなわち、老朽化が幅広く同時進行的に起こったということで、それによってニューサウスウェールズ州政府は、再開発をするにしても政府の資金を投入しなければならないだろうと考えるに至りました。そして、それを受けて初めて民間も参入するであろうと考えたわけです。ニューサウスウェールズ州のそのようなコミットメントをさらに固めることになり、1984年に1つの決定をしましたのは、1988年の建国200周年記念に向けてこれをその中心地にしていこうというものでありました。
(S3)これがダーリングハーバーでありまして。
(S4)これがその鉄道線であります。
(S5)そして、これがそのプロジェクトの全容を示したところです。
(S6)これが建設作業が始まった段階、そして突堤はシドニー水族館の部分を残してすべて壊して、そして再開発をするということでありました。
(S7)そこで、ざっとマスタープランを立てました。ほとんどは決められていたんですけれど屯、計画中にそのロケーションはそれぞれ変わっていきました。したがって、展示会議場の場所もかなり違うところに持っていくということになりました。
(S8)このプロジェクトは早期着工をするという決定がなされたために、再開発においては特別の権限を付与するという決定が州政府によってなされました。そして、オーソリティーにすべての土地が無償で与えられまして、オーソリティーはまた日常的な環境面での措置の手続を免除されたということであります。それは多くの論争をその当時呼びました。少なくともニューサウスウェールズ州においては、それ以降そのような措置はとられておりません。
(S9)これもまたその建設中のものでありますけれども。
(S10)一時に建設が同時進行的に行われたということで、タイトスケジュールのもとで行われました。
(Sl1)目標としましては88年1月ということでありまして、そのときにダーリングハーバーが一般公開されだということです。
(S12)そして、88年1月に帆船もダーリングハーバーに入ってきました。これは我々にとっても目標としていたことでありましたので、帆船を追い返すわけにもいきませんでしたし、スケジュールどおりやるということも重要でありました。
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